都電荒川線 東京さくらトラム 路面電車

学習院下

面影橋をあとにした都電は、目白通りと交差する明治通りを北上するが、旧女子学院の鉄門(重文)を正門とする学習院女子短大は、南下した戸山三丁目にある。

 

この鉄門は明治10年(1877年)、神田錦町の華族学校の表門として鋳造されたものである。

 

唐草模様の和洋折衷の意匠で、明治の息吹が感じられる。

 

学習院下の西方台地に広がるのが学習院大学である。
明治41年(1908年)四谷から移転した。
乃木希典の院長時代である。

 

この停留所のすぐ南の道を東にたどると目白不動で知られる金乗院の前に出る。江戸五不動のひとつ
目白不動尊は、もと、関口の新長谷寺(しんちょうこくじ)の本尊であった。

 

「堰口の涯に臨む。真言宗にして東豊山新長谷寺と号す云々」(江戸名所図会)

 

昭和24年(1949年)新長谷寺が廃寺になったので、不動尊は金乗院に移された。

 

江戸五不動は五色不動とも呼ばれ、目白不動のほか、目黒不動(目黒区滝泉寺)、目赤不動(文京区南谷寺)、目黄不動(江戸川区最勝寺)、目青不動(世田谷区教学院)である。

 

江戸の初期、江戸の中心と四方の守りとして配されたという。
いうまでもなく目白という地名はこの不動に由来する。

 

金乗院の境内に立つ倶利伽羅不動(くりからふどう)は庚申(こうしん)と習合したもの。

 

倶利伽羅竜(くりからりゅう)が剣にまとう像容に三猿が配されている。

 

金乗院付近には古い時代の目白をしのばせるそば屋があり、情緒を高めている。

 

さて、目白不動尊。寺伝によばれ、弘法大師が湯殿山(ゆどのさん)に参籠(さんろう)したとき、大師の目前に出現した不動明王(大日如来の化身)を模刻(もこく)したものという。

 

霊験(れいげん)あらたかで、徳川家光が目白の号を与えたと伝えられる。

 

また、綱吉の母桂昌院(けいしょういん)の帰依が厚かったという。

 

「当時は元和4年、和州長谷小池坊秀算僧正中興ありし頃、大将軍の厳命により、堂塔坊舎御建立あり。

 

また、和州長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像をうつし、新長谷寺と改む」

 

ともあれ、目白不動尊は秘仏なので平素は開帳されない。

 

それで「お前立て仏」といわれる前立本尊が造刻され、それが普段の拝む対象となる。

 

この前立本尊さえも、ときどきしか開帳しない寺がある。金乗院ではこのようなことはない。

 

それにしても信仰とは手続きが難しいものである。

 

とはいえ、秘仏なるがゆえに霊験があらたかなのかも知れない。

 

不動の日(毎月28日)のにぎわいは格別である。