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荒川区役所前

観音寺と付近の寺院

 

鶴御成のとき御膳所となった観音寺 (荒川四丁目)は天文年間(1532−55) 長遍僧都が開いた寺である。

 

そのたたずまいは清楚で明るい。

 

この地域にはこのほかにも寺院が多い。

 

せんこういん耳なし不動で知られる仙光院には明治初年 寺小屋が開かれた。当時の筆子 (生徒) は男四人、女十一人であった。

 

いまの明治通りは旧三河島村の村道とほおなじで、その南に地蔵堀があった。そ の跡地に立つ石地蔵は、元文五年(1740年) 浄正寺の住職が造立した。

 

宮地の六地蔵といい、この地蔵といい、この地の地蔵によせる信仰は層が深い。

 

なお、浄正寺には死者一五九人を出した 三河島駅の国電二重衝突事故の慰霊塔が立ち、惨事をいまにつたえている。