都電荒川線 東京さくらトラム 路面電車

荒川七丁目・荒川二丁目

三河島

 

新住居表示で「三河島」という地名が消えた。
戦国期以来の地名だけに惜しい。

 

こういう移り変りを東源寺の子育て地蔵はどう思っているのであろうか。

 

いつ行っても香華が手向けられている。

 

厚い信仰をあつめているようである。

 

ところで旧三河島は鶴の飛来地として知られていた。

 

幕府は飼付場をつくって鶴を保護した。

 

将軍吉宗・家斉・家慶らは「鶴御 成」と
称してたびたびこの地を訪れている。

 

明治通り沿いの観音寺は「鶴御成」のときの御膳所にあてられ、三河島菜が献上されたという。

 

ともかく、「鶴御成」のときの気遣いはたいへんなもので、飼付場への立ち入りは禁止され、南風のときは凧揚げが禁下制にされたほどである。

 

こういう三河島の変貌ははげしく、いまは中小の工場、商店が混在し、鶴飛来のおもかげはまったくない。

 

都電通りと荒川(隅田川)の間の広大な地域が東京都三河島下水処理場である。

 

大正 十一年(1922年) に操業を開始した。

 

この地に下水処理場が設けられた理由はいろいろとあるが、洪水のときにはいつも冠水する土地というのが大きな理由らしい。

 

この計画が発表されたとき、当然、反対の声があがったが、地主層が賛成したので 実施された。洪水のたびに被害をうけ、

 

収穫も低い地であったので、地主たちは土地を難なく手離したものと思われる。