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王子駅前

王子稲荷

 

王子は古名を岸村といった。

 

この岸村が王子と名を改めたのは、平安の末期である。

 

平塚城(上中里一丁目)に拠ってこの地方を治めた豊島氏が、紀州の熊野若一王子を勧請したことに由来する。

 

これが王子権現(神社) である。イザナミノミコトほかを祀っている。

 

下って寛永十一年(1634年)、酒井雅楽頭 が将軍家光の命によって社殿を造営した。

 

しかし、これは昭和二十年(一四五) の戦災で焼失、現社殿はその後に再建されたものである。

 

「社境丘陵に拠り、老樹天を刺し」(『東京案内』)という雰囲気は失われてしまったが、それなりの趣はある。

 

 

王子稲荷は王子神社の摂社であった。
いまの社殿は文化五年 (1808年) の造立である。

 

かつては岸稲荷といった。岸という地名の由来について『武蔵風土記稿』は、「荒川の流、 広潤なりし頃、その岸云々」と記している。

 

祭神は倉稲魂命。

 

その本地は荼枳尼天という婆羅門教の神である。

 

通力自在の羅刹女として信仰されてきた。

 

経典には白辰狐王菩薩と見える。白狐にまたがった菩薩なので、狐が神使と目され、稲荷=狐というよ うに考えられるに至った。

 

稲荷はその字義のように農耕神であるが、 近世になり、貨幣制度が発達すると、除災 招福・商売繁盛の神として信仰され、江戸のいたるところに祀られ、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」といわれるに至った。

 

ともあれ、王子稲荷は関八州の稲荷の総社といわれ、狐たちが参詣するにあたって装束を改 めたという装束稲荷も信仰をあつめた。

 

王子稲荷とおなじように、午の日のにぎわいはたいへんなものである。